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新聞定期購読をしましょう! 世の大成功者、大物と呼ばれている方々は、全国五大紙すべて定期購読をしているそうです。 新聞に興味の湧く情報を集めてみました。 ひと口に新聞といっても、全国一般紙もあれば地方紙、スポーツ紙、業界紙など様々ですね。 あなたは、どんな新聞を定期購読しますか? 新聞の歴史江戸時代後期の幕末には、手書きの回覧文章を「新聞」と称するケースがあった。1861年には日本初の新聞として官板バタビア新聞が刊行される。 明治には、1868年に小冊子形態の新聞が刊行され、佐幕色の中外新聞、江湖新聞(1868年創刊)が、1870年には日刊紙である横浜毎日新聞が創刊される。1872年には東京日日新聞、郵便報知新聞などがそれぞれ創刊。それまでの御用新聞から1874年に民選議院設立建白書の提出などを契機として民権派の勢力が強くなり、明治政府は1875年には新聞紙条例、讒謗律が制定される。 1874年に讀賣新聞、1879年に朝日新聞が創刊。1894年の日清戦争、1904年からの日露戦争の戦時報道、明治38年(1905年)9月1日の大阪朝日新聞には「天皇陛下に和議の破棄を命じた賜はんことを請い奉る」という記事と8月29日のポーツマス条約の講和条件を引用などの新聞報道により起きた民衆の暴動事件日比谷焼打事件、その後の全新聞による「警視庁廃止」の論陣などを経て、従来の論説中心から報道取材が行われるようになる。1909年には新聞紙条例を経た新聞紙法が制定される。 1890年記者クラブ誕生。 1918年の米騒動の際、寺内正毅総理大臣は新聞報道を禁止し、それに対する記者大会の報道で大阪朝日新聞が白虹事件という革命を示唆するという当時の朝憲紊乱罪に該当するものとして弾劾されている。 大正12年(1923年)9月1日関東大震災の際、通信途絶となったため、新聞で「東京(関東)全域が壊滅・水没」・「政府首脳の全滅」・「伊豆諸島の大噴火による消滅」など事実でないデマを記事にし結果として、大阪朝日新聞など一部新聞が9月3日、9月4日に朝鮮人による放火・爆破を報道記事にしたことにより、朝鮮人・琉球人などの虐殺事件をひきおこした。 第二次世界大戦、太平洋戦争中は政府情報局による新聞統制に置かれ、戦意高揚以外の内容は許されなかったが、逆に政府発表を煽ることもあった。 昭和20年(1945年)7月27日に論評なしにポツダム宣言の存在を新聞に公表したところ、7月28日に讀賣報知(現読売新聞)で「笑止、対日降伏條件」、毎日新聞で「笑止!米英蒋共同宣言、自惚れを撃破せん、聖戰飽くまで完遂」「白昼夢 錯覚を露呈」などと報道され、政府は再び論評を発表するはめになり、鈴木貫太郎首相は7月28日の記者会見で「共同聲明はカイロ會談の焼直しと思ふ、政府としては重大な価値あるものとは認めず「黙殺」し、斷固戰争完遂に邁進する」(毎日新聞、昭和20年(1945年)7月29日)と述べ、翌日の朝日新聞で「政府は黙殺」などと報道された。この「昭和20年7月27日に論評なしに黙殺」は本来、「特に何の意見も言わない(いわゆるノーコメント)」という意味だったようだが、日本の同盟通信社により「ignore it entirely(全面的に無視)」と英語に翻訳され、またロイターとAP通信では「Reject(拒否)」と訳され報道された。 昭和20年(1945年)8月16日毎日新聞にて「”忠誠足らざるを”詫び奉る(宮城前)」という7段抜きの8月15日の皇居前で整然と土下座をした人々の写真が掲載され、写真を撮れなかった朝日新聞、都新聞など他紙をくやしがさせたが、これは合成写真であった。(合成写真は戦争中は日常的に行われていた。) 昭和20年(1945年)9月27日の昭和天皇とダグラス・マッカーサー総司令官の会見写真を29日に掲載した新聞を発売禁止処分にした内閣情報局に対し連合国軍最高司令官総司令部は新聞検閲権限はなく即時解除を命令実行され翌30日に新聞で報じられた。ただし占領している連合国軍に関して批判等(占領軍将兵の犯罪など)に対してはプレスコードで検閲し報道させなかった。 昭和20年(1945年)読売新聞社長の正力松太郎がA級戦犯容疑で逮捕され巣鴨拘置所に収容される。昭和22年(1947年)不起訴で釈放、公職追放され読売新聞を退職する。昭和26年(1951年)追放解除で読売新聞に復帰。 昭和21年(1946年)11月12日、讀賣報知は「漢字を廃止せよ」との社説を掲載し漢字廃止(国語国字問題参照)を主張した。 印刷の変遷日本に於ける新聞の歴史は紙などが庶民に普及し出した江戸時代に見る事が出来る。有名な物では、瓦版と呼ばれるもので、亙に文字を彫り込み、凹版印刷の要領で多量に印刷し、作る物である。 明治期になるとヨーロッパなどから活字印刷技術が導入され、凸版印刷が主流になる。 昭和中期に入ると鉛板に活字を彫り、1枚の板状の凸版印刷となる。 昭和後期から平成期になると、印刷にコピー機の原理が加わる。 レーザー光を使用したフィルムプリンタの登場により、新聞紙面大のフィルムに文字を焼き付け、現像。ネガであるため白抜きの文字になる。以下は、液体コピー機の原理と同じである。作成したフィルムをフィルタとして大型の感光ドラムに照射し、感光ドラムまたは感光フィルム(以下感光体)の表面電位を変化させ、感光体に文字を電位変化という形で作成する。次に液体トナーと呼ばれるインク物質を感光体に触れさせ、電位変化のあった感光体の文字部分にインクを付着させる。次に紙と触れさせ転写を行う。カラー印刷を行う場合は、4色の色別に印刷機が組み合わされる。 |
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このページの情報は 2006年7月3日3時7分 時点のものです。 |

